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デビッド・ベッカムの「批判と向き合う力」

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スミタイ向上委員長
スミタイ向上委員長
「上司や顧客に怒られるのが怖い」
「ミスをしたくないからと、つい萎縮してしまう」
「ベッカムのように、批判に負けないマインドを持ちたい」

デビッド・ベッカムはイングランドだけでなく、世界中で人気を誇ったサッカー選手です。日本でも知名度は高く、モデルのような美貌とセレブリティ溢れる生活で有名です。しかし、ベッカムのキャリアは批判やバッシングとの戦いのキャリアでもありました。スター選手であるが故に、常にバッシングに晒されていたのです。

それでも結果を出し続けてきたベッカム。今回は、彼の持つ批判との向き合い方や、批判を受けた際のマインドセットについて解説していきましょう。

この記事で紹介する内容は以下の3点です。

  • デビッド・ベッカムのプレーヤーとしての軌跡
  • スター選手としての苦悩とバッシング
  • デビッド・ベッカムの「批判と向き合う力」

デビッド・ベッカムのプレーヤーとしての軌跡

デビッド・ベッカムのプレーヤーとしての軌跡

まずはデビッド・ベッカムのプレーヤーとしての軌跡を紹介していきましょう。

19歳で世界最高峰のプレミアリーグでプレー

デビッド・ベッカムは1975年にイギリス・ロンドンで誕生。少年時代はロンドン北部のチングフォードで過ごしました。物心がついた頃からサッカー選手を目指しており、7歳で地元のサッカークラブ「リッジウェイ・ローヴァーズ」に入団しました。当時から神童として活躍し、11歳の時にはプロサッカーチームである「ウェストハム・ユナイテッドFC」からのオファーがありましたが、プロチームに加入するのはまだ早いとチームに残留。地区代表や州代表として活躍すると、13歳で名門チームである「マンチェスター・ユナイテッドFC」の学生準会員となり、16歳で練習生としての契約を結びました。

すぐに頭角を表したベッカムは、17歳でトップチームに昇格。レンタル移籍での武者修行を経て19歳の時に世界最高峰のサッカーリーグの一つであるプレミアリーグでデビューを果たしました。

当時、ベッカムを中心に若手選手で構成されていたチームは上位に位置することも危ぶまれていましたが、周囲の予想を覆して若手選手が大活躍。リーグ優勝とFAカップ優勝を達成し、マンチェスター・ユナイテッドFCの黄金時代を築きました。1996-97シーズンには背番号10をつけて中心選手として活躍。プレミアリーグ開幕戦のウィンブルドンFC戦ではハーフウェーライン手前からシュートを決め、その名がイングランドに知れ渡ると、その勢いのまま連覇の原動力となりFIFA年間最優秀若手選手賞を獲得しました

世界を代表するスタープレーヤーとして活躍

ベッカムがスーパーゴールを決めてスター候補に名乗りを挙げた1996年にはイングランド代表にも選出されます。他を寄せ付けないフリーキックとクロスの精度を持つベッカムは1998年のフランスW杯の代表にも選ばれ、フリーキックによって代表初ゴールを決めました。しかし、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦で相手選手への攻撃によって退場となると、これをきっかけにチームも敗退。イングランド中からバッシングを受けることになりました。21歳にしてイングランド中からバッシングを受けることになったベッカムですが、強靭なメンタルとリーダーシップがあることから2000年にはイングランド代表のキャプテンに指名され、2006年のドイツW杯までキャプテンとして強豪チームの中心選手として活躍しました。

2004年には世界で最も収入の多いサッカー選手となり、代表としての117試合出場はイングランドのフィールドプレーヤーとして最多を誇っています。また、イングランド代表選手として唯一、ワールドカップ3大会連続でゴールを決めるなど不動のスター選手として長く活躍。クラブチームのプレーヤーとしても2003年に世界最高のクラブとの呼び声もあるレアル・マドリードに移籍。ベッカムだけでなくジネディーヌ・ジダンやロナウド、ロベルト・カルロスといった世界最高峰のプレーヤーが所属していることから「銀河系軍団」と呼ばれ、人気を集めました。

その後は2007年に「ロサンゼルス・ギャラクシー」に移籍し、2013年に「パリ・サンジェルマンFC」に移籍すると、同年に引退を発表しました。この間にFIFA最優秀選手賞では2位に2度選出され、英国人として初めてUEFAチャンピオンズリーグ100試合出場を達成するなど、数々の金字塔を打ち立ててきました。

スター選手としての苦悩とバッシング

スター選手としての苦悩とバッシング

世界を代表するスタープレーヤーとして高い人気を誇ったベッカムですが、多くのバッシングを受けていました。そんなベッカムの苦悩とバッシングについて紹介していきます。

ベッカムが活躍してもチームが負ければバッシングを受ける

ベッカムは21歳からサッカー強豪国であるイングランドの代表選手に選ばれ、1996年から2006年までの10年間にわたりイングランドのキャプテンとして活躍してきました。モデルと見紛うばかりの容姿と圧倒的な技術を持つベッカムは代表選出からすぐにスターとしてメディアに取り上げられ、2002年の日韓W杯の時には日本でもベッカムの髪型を真似た「ベッカムヘア」が流行するなど、世界を代表するスタープレーヤーとして知られていました。しかし人気がある分、重要な試合に負けるとその責任をベッカムに求める声も強く、たびたびサポーターやメディアと対立していました

1998年のフランスW杯では、決勝トーナメント1回戦で自らの報復行為によってレッドカードで退場するとチームは敗北。敗戦の「戦犯」としてイングランド中から批判を浴び、ファンからは殺害予告がされるなどの過剰なバッシングを受けました。またEURO 2000のポルトガル戦に2-3で敗れた際には、ベッカムは全2得点をあげているにも関わらずサポーターからのバッシングを受け、それにベッカムが中指を立てて応酬。これによりバッシングがさらに広がるなど、活躍の度合いに関わらずバッシングを受けるようになりました。

プライベートでもバッシングを受ける

若くして結婚願望があったベッカムは、1999年に当時イギリスを代表するアイドルグループであった「スパイス・ガールズ」のヴィクトリア・アダムズと結婚。美男美女カップルの結婚に多くの祝福の声が寄せられるも、2007年にはマンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督から「結婚するまでは何の問題もなかった。しかし結婚によってエンターテイメントシーンへ入ってしまったことが問題だった」とコメントされるように、プライベートでも多くの非難を浴びるようになりました

また「パパラッチ」と呼ばれるゴシップ誌のカメラマンに常に追い回され、ベッカムを怒らせるような質問を浴びせることもしばしば。本人だけでなく、子どもにもカメラを向け辛辣な言葉を浴びせ、失言を拾い上げて記事にするなどのバッシングも受けています。
このように好奇の視線に晒されながら、代表選手として長く活躍したベッカムの精神力は強靭というほかありません。

デビッド・ベッカムの「批判と向き合う力」

デビッド・ベッカムの「批判と向き合う力」

現役時代のベッカムは様々なバッシングを受けました。しかし批判に向き合いながら結果を出せたのはなぜでしょうか。ここではベッカムの持つマインドについて解説していきましょう。

好きなことを仕事にする

ベッカムが幾多のバッシングを乗り越えられたのは「サッカーが好き」というサッカーへの情熱があったからです。ベッカムが残した名言のひとつに「僕は、僕の仕事は趣味として扱っている。やっていることが大好きだからだ」という言葉があります。自分の仕事が好きだったからこそ、激しいバッシングを受けてもサッカーに集中できたのでしょう。
また、ベッカムは家庭を大切にすることで知られています。若くして結婚したのも「現役時代の姿を子供に見せたい」と考えていたからです。親が熱心に仕事に向かう姿を見せたいという父親としての強い動機が周囲の雑音をシャットアウトできた要因といえるでしょう。このように、外野からの意見を気にせず、本当に取り組むべきことに意識を集中できたのがベッカムの強みといえるでしょう。

結果を出して自らの存在を証明する

ベッカムは1998年のフランスW杯での退場劇の後、試合に出るたびにサポーターのブーイングやメディアのバッシングを受けていました。しかし、1998年のマンチェスター・ユナイテッドはリーグ、FA杯、UEFAチャンピオンズリーグ優勝の3冠を達成し、ドイツW杯最終予選のギリシャ戦では試合終了目前にフリーキックを決めてイングランドのW杯出場を決定づけました。ベッカムはバッシングを受けても結果を出し続けることで、批判を続けていたサポーターやメディアに自らの存在を認めさせていったのです
このように、バッシングを受けたとしても自らの信念を貫き、結果を出すことで周囲のバッシングを封じることをベッカムは証明しています。

スミタイ向上委員長のまとめ

スミタイ向上委員長のまとめ

今回は、デビッド・ベッカムの「批判と向き合う力」について紹介しました。日韓W杯の頃には空前のベッカムブームを巻き起こしたベッカムですが、長いキャリアの中では批判の連続でした。イングランドを代表するスター選手だからこそ、結果を出せないと批判され、プライベートの言動も厳しくチェックされていました。しかしベッカムに批判的なサポーターやメディアでも、ベッカムがイングランドを代表するプレーヤーであったことを認めないわけにはいきません。結果がそれを物語っています。

ベッカムは自身を「負けず嫌い」と評していますが、多くの批判をバネに一層の努力を重ねたのは想像に難くありません。ただし、結果を出すだけが批判と向き合う方法ではありません。ベッカムのように仕事に向き合い、仕事を楽しいと思うことができれば周囲の批判は気にならなくなります。周囲の雑音が気にならなくなるような仕事を見つけつけることが批判を恐れず果敢にチャレンジできる重要なポイントとなるでしょう。

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